内密な情報だが、われわれはいま三○○万人の失業者に直面している」と書いていた。
もっとも、こうした大統領の産業界への要請は、すべての閣僚の賛成の下に行なわれたわけではない。 メロン財務長官のごときは、フーヴァーのやり方に正面から反対した。
メロンの処方菱は、「労働者を整理し、在庫を整理し、農業を整理し、不動産を整理し」、市場の自動調整に委ねよ、というものだった。 フーヴァーは一)の考えにくみしなかった。
政府は産業に強制してはならないが、産業に正しい情報を与え、産業を指導することは政府の仕事である。 こうしたフーヴァー流の総需要管理策はいくぶんか成功した。
ニ九年から三○年にかけて、鉄道の建設投資は二・四%、電力投資は七・七%、連邦事業は三四・八%、州および地方事業は一三・六%増加した。 しかし、こうした増加は、中小企業の投資と住宅投資の大幅な減少によって完全に打ち消されてしまった。

フーヴァーは二九年二月の記者会見で語ったように、基本的には「恐怖の問題」鮎焔雄回が大きいと診断していた。 この診断は、後にルーズベルトが大統領就任演説で宣言した「われわれが恐れなければならないのは、恐れ心だけである」という言明と全く同じだった。
しかし、フーヴァーは公衆の面前でそれを口に出して唱えることを嫌い、大統領は行動をして語らしめるべきだと確信していた。 大統領の行動のおかげか、三○年に入ってから工業生産は急速に回復した。
株式市場も力強く値を一戻していった。 住宅建設は二八年以降減少を続けていたが、商業建築は二九年一二月に大きく落ち込んだ後、三○年の前半には前年の秋の水準にまで回復した。
じっさい、ニューヨークではオフィスの建築ブームが起こった。 (エン。
ハイァ・ステート・ビルは三○年に建設が始まり三一年に完成した。 )フーヴァーはこの時期をとらえ、「あらゆる証拠が、株価暴落の失業への最悪の影響は、これから六○日以内に終わるだろうことを示している」と宣言した。
五月の初めには前年から努力を要請している商工会議所で、「既に最悪の事態は脱した。 これまでの努力を続けるならば回復は早いと確信している」と語った。
フーヴァーはフーヴァー流のやり方で、企業家の悲観を払拭しようとしたのだった。 しかしそれが短い回復の最後だった。
生産の回復もじっは季節的要因によるものだった。 製造業の雇用は回復するどころか、その間にも着実に低下していった。
五月からは生産は前年にまさるペースで下落し始めた。 需要不足から物価はますます下落し、企業家たちはさらに雇用を削減した。

秋には南西部を大干ばつが襲い、天に達する砂嵐が不況で痛めつけられた農民に追い討ちをかけた。 一○月から一二月にかけて、アーカンソー、イリノイ、ノース・カロライナ、インディアナ、ミシシッピーなどの州では、農地価格と鉄道債券価格の下落から多数の銀行が倒産した。
一二月に起こったニューヨーク州の合衆国銀行(という名前の民間銀行)の倒産は、それまでの最大級の銀行倒産だった。 外国人の目にもアメリカで異変が起きつつあることが強く印象づけられた。
人々の間に銀行への不安が広がっていった。 そんな中でフーヴァーは国民に自信を回復するよう説き続けた。
一○月には全米銀行協会でこう語った。 「大部分の国民の所得は、不況のために減少しているのではない。
それは不必要な恐怖と悲観の影響を受けているのであり、その結果財の消費が抑えられ、企業活動がくじかれているのである」。 一九二○年代を通じて企業経営者は高賃金ドクトリンに改宗していた。
フーヴアーは二九年末、おもだった実業界の指導者たちと懇談した際、不況の中にも賃金を切り下げないよう要請した。 三年の不況では賃金の引き下げが事態を一層悪化させた。
今回は、賃金の引き下げを回避し、購買力のさらなる下落をくいとめなければならない。 労働界の指導者からは、代わりにストライキを差し控える合意をとりつけた。

こうしたフーヴァーの努力によって、一九三○年中に賃金を引き下げた企業は一○○社のうちのわずか七社にとどまった。 二一年に一○○社のうち九二社が賃金を引き下げたのに比べれば、経営者の態度は様変わりをとげていた。
ヘンリー・フォードはフーヴァーの説得に応じ自社の賃金を引き上げさえした。 フーヴァーの考えの中では、高賃金政策と関税政策とは結びついていた。
国内に高賃金を維持するためには、輸入から国内産業を守る高関税が不可欠である。 そう考えてフーヴァーは、二九年の四月には、議会に貿易法の修正を提案していた。
やがてユタ州選出のリード・スムート上院議員とオレゴン州選出のウィリス・ホーリー下院議員という熱心な保護主義者が中心となって書き上げた貿易法案は、議会を通過したときにはフーヴァーが意図していた以上に保護主義的色彩を強めていた。 保護主義者たちの主張はお定まりのものだった。
「もしこの法案が通過すれば、わが国は三○日以内に財政的、経済的、商業的に上り坂となり、今日から一年以内にわれわれは好況のピークに再び達するであろう」(共和党上院院内総務ジム・ワトソンインディアナ州選出)。 直ちに多くの経済学者が法案に反対した。
五月、シカゴ大学の経済学者ポール・ダグラス(後にイリノイ州選出の上院議員となる)の呼びかけに対して、アメリカ経済学会(AEA)から一○日で一○二八名の経済学者の反対署名が集まった。 「(高関税は)大多数のわが国の人々を傷つける。
外国は、わが国に物を売ることができなければ、いつまでもわが国から物を買い続けることはできない」「一方で貿易・内国通商局の活動を通じて輸出を促進し、他方で関税を引き上げて輸出を一層困難にしようとしているアメリカ政府の政策ほど、皮肉なスペクタクルはない」。 署名した学者は一七九の大学と、ニューメキシコとワイオミングを除くすべての州にわたっていた。
しかしフーヴァーは、関税問題に関するこうした扇動ほど産業界の回復のさまたげになることはないとして、六月に法案に署名した。 後に史上最悪の立法と呼ばれることになるスムート・ホーリー法は、こうして成立し、三三○○品目中の八九○品目については関税が引き上げられ、二三五品目については引き下げられた。
これによってアメリカの輸入関税は、平均三三%から四○%に引き上げられ、過去最高の水準に達した。 オランダ、ベルギー、フランス、スペインおよびイギリスは直ちに報復的関税措置を発表した。

この法律によって、ヨーロッパは復興への手がかりを完全に失った。 二九年までの株式ブ−ムでは、ヨーロッパへ貸し付けられていたアメリカの資本が国内の株式市場に向かい、ヨーロッパは資金不足にあえいだ。
いままた、アメリカへの輸出の門戸を閉ざされて、ヨーロッパは完全に出口を失ってしまった。 ヨーロッパに経済危機が醸成されつつあった。
しかし、アメリカ国内では生産と一雇用は三一年の前半には多少回復を示してきた。 フーヴァーはそのままアメリカ経済は回復するものと信じた。
じっさい、フーヴァーは死ぬまでその確信を変えなかった。 三一年の春にはアメリカは不況を脱しつつあったのであり、それが不可能となったのはヨーロッパのせいなのだ。
大統領を退いてからの回顧録でフーヴァーはその確信を思う存分展開した。

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